はじめに:判断の責任と重み
昔は「行司差し違えにつき切腹」という厳しい制度があったと伝えられています。しかし、相撲の審判(行司)が誤った判断をした場合、命を絶つこともあったというのです。これは極端な例ですが、判断には常に責任が伴い、その重みがあることを示しています。
ちなみに、この「行司差し違えにつき切腹」という説そのものにも、「帯刀は武士の名残に過ぎない」とする説があります1。ことほどさように、巷間に流布している情報の信憑性を確認することには、丁寧さが求められます。
現代社会では、ソーシャルメディアや各種メディアを通じて、真偽不明の情報が急速に広がる時代です。情報の信頼性はますます重要になっています。そんな中で「これは事実です」「事実ではありません」と判断する「ファクトチェック」には、相応の責任が伴うものといえるでしょう。
AIファクトチェックの登場
最近、SNS上での「ファクトチェック」機能として、GrokというAIシステムが使われる例が増えています2。ユーザーは投稿へのコメントとして「@grok ファクトチェック」などと入力するだけで、内容の事実確認ができるというのです。
これは、テクノロジーの進化により生まれた情報検証の新しい形です。インターネット上の情報は常に増え続け、すべての情報を人間だけで検証するのは不可能であり、AIによる支援は合理的な解決策の一つです。
AIによるファクトチェックの限界
しかし、AIによるファクトチェックには明確な限界があります。
- まず、AIの知識には範囲と更新性の問題があります。
AIは学習したデータの範囲内でしか回答できません。公開されていない情報や急速に変化する世界情勢、最新の科学的発見などについては、学習データが不足している可能性があるのです。 - 次に、情報源の検証能力に制約があります。
人間のファクトチェッカーは、情報源の信頼性を批判的に評価し、専門家に確認を取り、必要なら現場取材も行います。しかしAIは、単に持っている情報の中から最も関連性が高そうなものを引き出しているだけかもしれません。 - 人間のファクトチェッカーとAIの決定的な違いは、責任の所在です。
信頼できるメディアのファクトチェッカーには、誤った情報を発信した場合の社会的・法的責任があります。一方、AIには責任という概念がありません。誤った情報を提供しても、AIが「反省」したり「責任を取る」ことはないのです。
多くのケースでgrokは、結論においては両論併記の形を取り、慎重に断定を避けます。また、ユーザーに質問を投げかけ、思考を促します。これは、AI判断の限界を認識した設計だと示唆されます。しかし、「ファクトチェック」の過程に使った情報は、「事実」であるかのように見えます。この部分に信頼性のない生成された情報が混入する余地があるのです。
「ファクトチェック」という表現の問題(アフォーダンス)
UIデザインにおける言葉選びは、ユーザーの期待と実際の機能の間にギャップを作らないよう慎重に行う必要があります。「アフォーダンス」(見た目や使い方から想像される機能)と実際の能力のミスマッチとも言えます。
「ファクトチェック」という言葉には重みがあります。本来、ファクトチェックは専門のジャーナリストや研究者が時間をかけて行う厳密な検証プロセスを指します。AIがデータベースを検索して回答を生成する行為を同じ名前で呼ぶことは、その言葉の重みと専門性を軽視することになりかねません。
これは言葉の重みと期待値のギャップを生み出します。「ファクトチェック済み」と聞くと、多くの人は「この情報は確実に正しい」と信じてしまいがちです。しかし、AIによるチェックは、どちらかというと参考情報を集めているに過ぎず、100%の正確性を保証するものではありません。
こうした専門性を持つ用語の一般化が誤解を招くことは、他の分野でも見られます。例えば、市販の「健康チェック」アプリに「診断」ボタンをつけて、専門の医師による「診断」と同じ言葉で表現すれば、その結果に誤解が生じるでしょう。
ファクトチェック可能であるかのように振る舞わせる
「@grok ファクトチェック」という表現がコマンドのような形を取っている点にも問題があります。これはAIに対して、原理的に不可能なことを指示し、それができているかのように振る舞わせてしまう虚構性をはらんでいます。
生成AIの推論は確率モデルに基づいており、人間のような論理的判断とは異なるメカニズムで動作しています。とくに、強化学習という成功したときに報酬を与えることで、より良い結果を出せるように学習する仕組みの過程で、ユーザーにとっての「成功」という期待に沿った回答を生成する傾向があります。「ファクトチェック」という言葉を使うことで、あたかもそれができるかのようなユーザーに印象を与え、AIにその期待に沿うようにせいいっぱいの演技をさせてしまうのです。
もちろん、「@grok ファクトチェック」はXに用意された機能ではなく、「grokに対してメンションすると回答する」という仕組みから導き
結局ユーザーはファクトチェックの責任から逃れられない
また、判断の責任の所在も曖昧です。AIが提供した「ファクトチェック」の結果が間違っていた場合、誰が責任を取るのでしょうか。これは、暗黙のうちにユーザー自身に「ファクトチェック」の「ファクトチェック」の責任を負わせています。つまり、ユーザーが情報の事実判断の責任を回避する機能のはずが、二次的な情報発信の責任を負うことになるのは、皮肉な結果と言えます。AIは事実確認の限界を認めつつも、「ファクトチェック」という言葉の持つ権威を借りることで、新たな情報源として機能してしまいます。
AIによる検索支援の意義
もちろん、AIによる情報提供には確かに意義があります。Grokのような機能は、明らかな虚偽情報の拡散防止に役立つ可能性があります。簡単な操作で基本的な事実確認ができることは、情報過多の時代に有用なツールになり得ます。
また、こうしたツールは情報リテラシー向上のきっかけにもなります。AIが提供する情報と他の情報源を比較することで、利用者は批判的思考を養うことができるかもしれません。ただし、それはあくまでAIの限界を理解した上での話です。
より適切な表現を求めて
では、現在「ファクトチェック」と呼ばれているAIの機能は、どのように表現するのが適切なのでしょうか。「チェック」という言葉のニュアンスが難しいので、たとえば、「AI情報検索支援」「AIによる論点の要約」などの表現であれば、AIが実際に行っている、「大まかな調査の代行」であることをより正確に表現しています。
重要なのは、技術の限界を明示することです。その機能が何をできて何をできないのかが利用者に明確に伝わらないと、新たな訂正しがたい虚偽情報を増やしてしまうことにもつながりかねません。AIを使った情報提供は、便利で多くの場合は役立ちますが、時には外れることもあります。たとえば、人々の毀誉褒貶に関わるような微妙な事実の確認には、責任ある回答はできず、必ずしも適していないと言えます。
まとめ
AIによる「ファクトチェック」機能には、便利さと限界の両面があります。技術の進化により、情報検証の新しい可能性が開かれたことは歓迎すべきことですが、その表現方法や位置づけには慎重さが必要です。
「ファクトチェック」という重い言葉を安易に使うことは避け、AIの実際の能力に見合った表現を選ぶべきでしょう。同時に、利用者もAIの限界を理解し、複数の情報源を確認する習慣を持つことが大切です。
技術と表現の誠実さを保ちながら、情報社会における信頼性確保の仕組みを整えていくことが、これからの課題といえるでしょう。
行司差し違えにつき切腹、というのがありました。
それぐらい、審判の判断は責任が重いものですし、だからこそ判断には重みがあります。
さて、Grokには「ファクトチェック」という機能があり、ポストに対して、カジュアルに利用され、回答があります。
このAI生成の文章はどう考えたらよいのでしょうか?
「文章の内容はすべてファクトに基づく」と言えるのか?
「ファクトをチェックした文章である」と言えるのか?
「ファクト」の性質上、それが難しいのはわかります。
人間がファクトチェックのための参考情報を提示している、と言えるのかもしれません。
「@grok ファクトチェック」というのは、命令文なのか、機能の呼び出しなのか、UI的にわかりにくい
- イーロン・マスク氏をXのAIがファクトチェック。「誇張された主張で不安をあおる」と結論づける | ハフポスト WORLD
- 「Grokでファクトチェック」Xでの流行に警鐘、間違った情報の可能性も (2025年4月13日掲載) – ライブドアニュース
- Xで流行る生成AI「Grok」でのファクトチェック マスク氏「地球上で最も賢い」と豪語もひろゆき氏「おもしろ機能。信用できないとわかって使うべき」(ABEMA TIMES)|dメニューニュース(NTTドコモ)(2025-04-12)
- 「かつて行司を行っていたのが武士だったことから、帯刀はその名残に過ぎない」 – 木村庄之助「土俵で見た朝青龍の凄味」『文藝春秋』第86巻第6号、文春秋社、2008年5月1日
- 昨今、ニュース記事やネット上でバズっている画像にリプライするかたちで「@grok ファクトチェック」と入力し、Grokにファクトチェックをする人が続出しているのだ。 – Xでの流行に警鐘「Grokでファクトチェック」する人続出…「俺の答えが“説得力ある”ってだけで信じちゃう人が多い」とGrok本人からもまさかの指摘 – ライブドアニュース