ニセ社長詐欺のメールの手口と目的を考える

  • 差出人の表示名は送る側が自由に設定できる欄で、メールアドレスを偽装しなくても他人の名前を名乗れます
  • SPFとDKIMが確かめているのは配送の経路と改ざんの有無で、名乗りが本物かどうかは検査の対象外です
  • 最初のメールには送金の話もURLも添付もありません。本題はLINEに移ってから出てきます
  • 2026年1月から3月に警察庁が確認したニセ社長詐欺は68件、被害総額は23億円あまりでした

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1. 差出人の名前は、送る側が自由に書ける

先日、問い合わせ用のアドレスに一通のメールが届きました。 差出人の欄には会社の代表者名が入っていて、本文は「先にLINEグループを作成してください」というだけ1。 拍子抜けするほど短い文面です。

気になってヘッダーを開いてみると、実際の送信元は会社とまったく関係のないフリーメールのアドレスでした2。 名字もかすりません。 アドレスを偽装したのではなく、表示名の欄にだけ代表者の名前を書き込んで送っていたわけです。

差出人の表示名は、メールソフトやウェブメールの設定画面から、誰でも好きな文字列に変えられます。 受信側の画面に大きく出るのはたいていこの表示名で、アドレスは折りたたまれて見えない。 スマホのメールアプリなら、なおさら名前しか目に入りません。

1.1. SPFとDKIMが証明しているのは経路だけ

受信サーバーが付けた判定結果も残っていました。 SPF(Sender Policy Framework:送信者ポリシー枠組み)は合格、DKIM(DomainKeys Identified Mail:ドメイン鍵付きメール)の署名も有効。 迷惑メール判定のスコアは、しきい値8.0点に対して1.0点でした。

SPFは、そのドメインからメールを送ってよいサーバーの一覧をDNSに公開しておき、実際の送信元アドレスが一覧に含まれるかを照合する仕組みです3。 DKIMは、送信側が本文とヘッダーに電子署名を付け、受信側が公開鍵で検証します4。 どちらも確かめているのは「名乗っているドメインのサーバーから、途中で書き換えられずに届いたか」まで。

裏を返すと、そこまでしか見ていません。 攻撃者が自分で取得したフリーメールのアカウントから普通に送信すれば、送信元も署名も正真正銘なので、すんなり合格します5。 表示名に書かれた人物が実在するか、その人が本当に書いたかは、検査の範囲に入っていない。

1.2. 送金要求も添付ファイルもない一通

このメールには、外部へのリンクも、添付ファイルも、パスワードを入力させる画面もありません6。 金額も口座番号も出てきません。 迷惑メールのフィルターが手がかりにする材料が、ほとんど置かれていないのです。

無害に見える一通で始めるのは、たまたまではなく設計だと思います。 危険な単語もURLも入っていない短文は、機械的な判定をまず通ります7。 詐欺の本文は、まだ書かれていない段階だと考えたほうがいい。

2. 本題はLINEに移ってから始まる

では、なぜLINEグループなのでしょうか。 社内のメールは、上司の目にも情報システム担当者の目にも触れます。 社外のメッセージアプリに場所を移せば、そうした確認の網から外れます8

やりとりの記録が業務システムに残らないだけでなく、後からアカウントごと消してしまうこともできます。 最初の依頼がグループ作成だけなのは、この移動そのものが目的だからです。

2.1. 「一旦お一人のみ」「私のLINEも追加不要」

届いたメールで一番引っかかったのは、作成時は一旦お一人のみで大丈夫です、という一文でした。 続けて、私のLINEも追加不要です、とあります。 依頼した本人がその場に入らないグループを、なぜ作らせるのか。

本人のアカウントを追加できないのは、本人ではないから。 そして一人だけで作らせれば、同僚や本物の代表者に「こんなメールが来たんですが」と相談される機会も消えます。 IPAが確認した大量送信メールにも、グループには他の人は入れないように、QRコードを返信しろ、という同じ指示が並んでいました9

2.2. グループができてからの展開

作成したグループのQRコードや招待リンクをメールで返信すると、犯人がそこから参加します。 以降のやりとりはLINEの中。 警察庁は、犯人がグループ内で残高などを聞き出し、支払いを装って指定口座への送金を指示する流れを、リーフレットで図示しています10

LINE公式も、同じ手口で残高のスクリーンショットや振込を求められる事例を確認しています11。 経理担当者をグループに追加させ、送金権限のある人へ直接指示を出す形に持っていくこともあります。 会議中で電話に出られない、というのが定番の言い訳です。

3. 二日で五百万円が動いた事例がある

2026年7月に富山県で公表された事例では、高岡市内の会社の業務用アドレスに、実在する社長の名前を差出人として表示したメールが4月3日に届いていました。 今後の業務プロジェクトに備えて新しいLINEの業務用グループを作り、参加用のQRコードをこのメールへ返信してほしい、という内容です。 社員が指示どおりに返信すると、グループ内で経理担当者を加えるよう求められ、口座の残高を説明したうえで300万円を振り込んでいます12

同じ7月、山口県内の法人でも、事務担当者が代表者を名乗るメールを受け取ってLINEグループを作成しました。 きょう入金が1件ある、通帳の残高はいくらか、インターネットバンキングで500万円の振り込み手続きはできるか、と聞かれ、翌日に経理担当者が送金。 メールが届いた7月20日から送金完了まで、わずか2日です13

全国では、2026年1月から3月までの3か月間で68件、23億円あまりの被害が確認されています。 単純に割れば、1件あたり3千万円を超える計算です。 数千通ばらまいて数件当たれば元が取れる、という規模の話ではありません。

4. 確かめるなら、メール以外の道で

こういうメールが届いたときにやることは、そう多くありません。 返信しない、QRコードや招待リンクを送らない、URLがあっても踏まない。 そして、表示名になっている本人に、以前から知っている電話番号か対面で確認する14

確認の連絡先を、そのメールの中から拾わないことが肝心です。 署名欄の電話番号も、返信先アドレスも、送り主が書いたもの。 名刺や社内名簿に載っている番号にかけるなら、一本の電話で済みます。

削除する前に、情報システムの担当者へヘッダーごと転送しておくと、同じ手口が他の社員にも届いていないか確かめられます15。 送金の承認フローに複数人のチェックを入れておけば、二日で振り込みまで進む流れは途中で止まります。

スマホ教室では、知らない番号には出なくていいですよ、という話をよくします。 ところが今回のメールは、知っている名前で、認証も通って、迷惑メールフォルダにも入らずに届きました。 機械が確かめてくれるのは経路まで。 名乗りが本物かどうかを引き受けるのは、結局のところ受け取った人です。

  1. IPAは、この手口のメールについて、差出人の表示名が自社や取引先の社長名や社員名になっている、件名が自社の会社名になっている場合が多い、本文で業務指示を装ってLINEグループの作成とQRコードの返信を求める、といった特徴を挙げています。 – 社長等をかたる詐欺メールに注意!
  2. 警察庁はこの手口を、経営者等をかたり、インターネット上で公開されている法人等のメールアドレス宛てに電子メールを送り、業務命令をよそおって指定した口座に送金させる詐欺と定義しています。 – 法人を対象とした詐欺(ニセ社長詐欺)に注意!
  3. SPFはRFC 7208で標準化されており、送信元IPアドレスがそのドメインの許可リストに含まれるかを受信側が照合する方式として定義されています。 – RFC 7208: Sender Policy Framework (SPF) for Authorizing Use of Domains in Email, Version 1
  4. DKIMはRFC 6376で標準化されており、署名の検証によって確認できるのはメッセージがそのドメインに関連づけられていることであって、内容の正しさではないと明記されています。 – RFC 6376: DomainKeys Identified Mail (DKIM) Signatures
  5. セキュリティ対策Labも、この手口では正規ドメインを騙るのではなく無関係のフリーメールから代表者名を表示名として送るケースが多いため、SPFやDKIMなどの技術的対策だけでは完全な防御にならないと指摘しています。 – 山口県内の法人が「ニセ社長詐欺」で500万円の被害
  6. ただしIPAは、数は少ないもののマルウェア感染を目的とした添付ファイルが付いているケースも確認しています。 – 社長等をかたる詐欺メールに注意!
  7. 送金依頼や口座番号が含まれていれば迷惑メールフィルターや従業員の警戒に引っかかるが、グループ作成の依頼だけなら通常の業務連絡と区別がつかない、という分析があります。 – 山口県内の法人が「ニセ社長詐欺」で500万円の被害
  8. メールゲートウェイでの検査、送信ドメイン認証、アーカイブによる事後追跡はいずれも社内メールシステムを前提とした仕組みで、従業員個人のスマートフォン上のやりとりには及びません。 – 山口県内の法人が「ニセ社長詐欺」で500万円の被害
  9. IPAの相談窓口には、2025年12月16日から2026年3月10日までにこの手口に関する相談が106件寄せられています。 – 社長等をかたる詐欺メールに注意!
  10. 警察庁は2026年2月13日に注意喚起のリーフレットを公開し、LINEグループの利用を指示されたら要注意であること、社内で送金に関するルールを整備することを対策として挙げています。 – ニセ社長詐欺(注意喚起リーフレット)
  11. LINEヘルプセンターは、社長や役員を装ってLINEグループの作成を依頼するメールについて注意を呼びかけています。 – 社長・役員を装う「LINEグループ作成依頼」メールによる詐欺にご注意ください
  12. 振込後にLINEのやりとりを不審に思った社員が確認したところ、実際の社長はそのような指示をしていないことが判明したと報じられています。 – 「プロジェクトに備えLINEグループを作成してほしい」ニセ社長の指示で…指定口座に300万円振り込む
  13. 宇部警察署が2026年7月23日に公表した事案で、被害に遭った法人の代表者名とメールアドレスは、いずれもホームページ上で公開されていました。 – 山口県内の法人が「ニセ社長詐欺」で500万円の被害
  14. IPAも、送信元とされる人に確認する場合は、送られてきたメールに返信せず、電話などの別の方法で確認するよう案内しています。 – 社長等をかたる詐欺メールに注意!
  15. 埼玉県警察も、返信せず組織内で情報を共有し、メール以外の方法で本人に確認するよう呼びかけています。 – ニセ社長詐欺に注意!