はじめに
企業間のコラボレーションやSNSでの情報発信が当たり前の時代になりました。一方で「これは公開していいのかな?」と迷うことも増えています。特にYouTuberなど複数のクリエイターがコラボするケースでは、どこまで情報を公開していいのか判断が難しいものです。
この記事では、秘密保持契約の基本から始まり、情報公開の判断基準、企業での実務的な対応まで、実際の事例を交えながら解説します。
秘密保持契約とは何か?
秘密保持契約は、会社や個人が大切な情報を守るための約束です。英語では「NDA(Non-Disclosure Agreement)」とも呼ばれます。この契約を結ぶと、秘密の情報を他の人に話してはいけないという約束をすることになります。
例えば、新しいゲームを作っている会社が、そのアイデアを外に漏らさないよう社員と契約を結ぶようなケースです。
秘密保持契約には主に次のようなことが書かれています:
- どんな情報が秘密なのか
- その情報をどのように使っていいのか
- 秘密を守る期間はどれくらいか
- 約束を破ったらどうなるか
「包括秘密保持契約」という言葉もよく聞きます。通常の秘密保持契約は一つの取引や仕事のために結ぶことが多いですが、「包括」がつくと、これから先のいろいろな取引や仕事の全部に適用される契約になります。
お母さんに「今日だけ片付けなさい」と言われるのと、「いつも片付けなさい」と言われるのとの違いに似ています。
守秘義務との違い
「守秘義務」と「秘密保持契約」は似ていますが、いくつかの重要な違いがあります。
守秘義務は、ある人が知った秘密の情報を他の人に漏らさない「責任」や「義務」のことです。これは法律や職業倫理から生じることが多いです。例えば医者や弁護士には、契約がなくてもその職業に就いた時点で自動的に守秘義務が発生します。
一方、秘密保持契約は当事者同士が明確に契約書を交わして発生するもので、具体的にどの情報が秘密か、違反した場合の罰則は何かなどが明確になります。
わかりやすく例えると、守秘義務は「医者さんだから患者さんの秘密は守るもの」という暗黙のルールのようなもの。一方、秘密保持契約は「この情報はこの期間、このような条件で秘密にしますよ」と明確に紙に書いて約束するものです。
うっかり漏らしがちな情報とその対策
秘密保持契約を結んでいても、うっかり情報を漏らしてしまうことがあります。特に注意すべき情報としては以下のようなものがあります:
社内会議や打ち合わせの内容
会社の秘密情報が記載された文書やメール内容を、許可なく他の人に転送してしまうことは契約違反になります。特に、社内会議で話し合われた内容を友人や家族に何気なく話してしまうケースが多いです。
開発中の製品情報
新しい製品やサービスの開発情報は、うっかり漏らしやすい情報の代表です。例えば「うちの会社、来月こんな新商品出すんだ~」と友人に話すことも契約違反になる可能性があります。
他企業からの転職者が持ち込んだ情報
競業他社への転職が内定した後に、機密事項を扱う会議に出席して入手した資料を持ち出すと背信性が極めて高いとみなされます。これは法的にも大きな問題になりかねません。
うっかり漏洩を防ぐコツとしては、以下のことを意識するといいでしょう:
- 公共の場では仕事の具体的な話をしない
- SNSで仕事の内容に触れるときは特に注意する
- 「これは言っていいのかな?」と少しでも迷ったら言わない
- 秘密情報を含む資料は持ち出さない
- 家族や友人にも仕事の具体的な内容は話さない
公開してもよい情報の見極め方
一方で、全ての情報が秘密というわけではありません。自分の仕事のPRをする上で、以下のような情報は基本的に公開できることが多いです:
公知の情報
秘密保持契約で保護されるのは「秘密として管理されている情報であって、公然と知られていないもの」です。逆に言えば、すでに公開されている情報は話してもOKです。
自分の職種や役割
あなたがどんな職種で、どんな役割を担っているかといった一般的な情報は通常公開できます。「私はWebデザイナーです」「プロジェクトマネージャーとして働いています」などの情報です。
一般的なスキルや経験
特定のプロジェクトに関わらない一般的なスキルや経験は公開できます。「HTML/CSSのコーディングができます」「5年間のマネジメント経験があります」といった内容です。
転職活動などで自己PRをする場合、「前職では守秘義務がありましたので、実名を出すのは控えさせていただきますが、ある某大手流通会社の○○に関するシステムを担当していました」というように言い換えることができます。
YouTuberコラボなど企業をまたぐ情報公開の悩み
SNS時代の新たな悩みとして、例えばYouTuberなどのコラボ企画での情報公開範囲の問題があります。お互いに異なる企業やマネジメントに所属している場合、どこまで情報を公開していいのか、スタンスが分かれることもあります。
事前の明確な合意づくり
YouTuber間のコラボレーション契約では、「公開保証条項」が重要です。これは制作した動画を一定期間継続して公開する義務に関する取り決めです。企画内容の公開についても同様の条項で明確化しておくべきです。
具体的には、コラボ前に「何を公開してよいか」「何を公開してはいけないか」をリスト化しておくといいでしょう。例えば:
- 公開OK:コラボすること自体、イベントの日時・場所、大まかな企画内容
- 要相談:詳細な企画内容、撮影時の裏話、予算・収益の配分
- 非公開:互いのプライベートな情報、個人情報、視聴者からのコメントの詳細
公開前の確認プロセスの導入
動画制作において、「どの情報が機密情報に当たるのかを明確にし、発注側が公式に発表するまでは口外して欲しくない情報を明確にしておく」ことが重要です。相互に以下のチェックを行うシステムを作りましょう:
- 動画公開前の相互確認
- SNSでの発言内容の共有
- サムネイルやタイトルの事前承認
こうした対策を事前に行うことで、後々の「こんなこと言うつもりじゃなかった」という齟齬を防げます。
データのSNS投稿やクラウド保存、生成AIへの送信
最近の新たな課題として、「データのSNS投稿」「クラウドへの保存」「生成AIへの送信」などが秘密保持契約的にどこまで許されるのか、という問題があります。
秘密保持とデータ利用のバランス
生成AIにおいては、自社の秘密情報を訓練データとして使われないものもあります。しかし、生成AI提供企業の利用規約には秘密保持条項がないことがあるため注意が必要です。
他社から入手した秘密情報についても基本的には自社の秘密情報と同じですが、秘密保持契約に「第三者への開示禁止」条項がある場合、生成AIに入力すると契約違反になる可能性があります。
企業での秘密保持の管轄と組織体制
「秘密保持は誰が管轄するのか?」という疑問も多いでしょう。実は、企業によって異なりますが、一般的には複数の部門が関わる横断的な取り組みになることが多いです。
主な管轄部門
- 法務部門 秘密情報の法的保護には、秘密保持契約や就業規則などによる契約上の秘密保持義務が重要です。法務部門はこれらの契約文書や社内規程の作成・管理を担当することが多いです。
- 情報セキュリティ部門 情報セキュリティ担当者は、会社の情報セキュリティ体制を企画・実行する役割を担い、情報セキュリティに関するリスクをアセスメントして対応策を企画・実施します。
- CISO(最高情報セキュリティ責任者)と専門チーム サイバーセキュリティ対策には経営者の積極的関与が必要で、CISOを設置することが求められています。CISOは企業内で情報セキュリティを統括する担当役員です。
- 人事部門 従業員に対する秘密保持契約や誓約書の締結、また退職時の情報漏洩対策強化など、人事に関わる秘密保持対策も重要です。
企業規模によっても異なり、大企業では専門の部署や担当役員(CISO)を設置していることが多いですが、中小企業では総務部や法務部が兼務、またはIT担当者が情報セキュリティ全般を担当することが多いです。
専門家への相談
このような複雑な問題については、以下のような専門家に相談するとよいでしょう:
- 情報セキュリティ専門弁護士 生成AIと秘密情報の取り扱いについて法的な観点から解説できる弁護士がいます。
- CISO(最高情報セキュリティ責任者) 企業内の情報セキュリティポリシーを統括する役職者です。
- 情報セキュリティコンサルタント さまざまなWebサービスや生成AIの利用に関するセキュリティリスクについて専門的な知見を持つコンサルタントもいます。
情報公開の裁定プロセス
実務面では、担当者が情報公開範囲について迷ったときに上長に判断を仰ぐことが基本です。しかし、「これはいいだろう」と暗黙に判断してしまうケースも多くあります。かといって、すべてのSNS投稿などをチェックするのも現実的ではありません。
多くの一流企業では、「すべてをチェックする」というアプローチではなく、以下のようなバランスの取れた方法を採用しています:
1. ガイドラインと教育の徹底
発信者自身が適切な判断ができるように、明確なガイドラインを作成し、定期的な教育を行います。例えば:
- カテゴリー別の公開可否の具体例リスト
- SNS投稿の「Do & Don’t」リスト
- よくある判断ミスのケーススタディ
2. 階層型の権限設計
情報の重要度に応じた階層型の権限設計を行います:
- 日常的な非機密情報:担当者の裁量で発信可能
- 中程度の重要情報:部門長の承認が必要
- 重要機密情報:広報部やコンプライアンス部門の承認が必要
3. 事後モニタリングと振り返り
すべての発信を事前にチェックするのではなく、事後的なモニタリングと定期的な振り返りを行います。そうすることで、情報発信の萎縮を防ぎながらも、改善点を見つけられます。
まとめ
秘密保持契約と情報公開のバランスは、現代のビジネスにおいて避けて通れない課題です。特にSNSやコラボレーションが日常的になった今、何を公開していいのか、何を秘密にすべきなのかの判断はますます難しくなっています。
重要なのは、「リスクゼロ」を目指すのではなく、「許容可能なリスク」と「情報発信の価値」のバランスを取ることです。そのためには、明確なガイドラインと、自律的な判断ができる組織文化の構築が欠かせません。
情報セキュリティ文化の構築には時間がかかりますが、日々の小さな実践の積み重ねが、長期的には大きな成果につながるのです。