なぜ展開部は短い「脇役」から長い「主役」になったのか:ソナタ形式進化の謎を追う

展開部の進化:脇役から主役へ 1700年 バロック時代 調性の対比中心 A部→B部 主調 転調 主調 1738年 「回帰」の発明 スカルラッティ 材料が主調で再登場 再現部の原型 1765年 初期ソナタ形式 C.P.E.バッハ 展開部が形式化 主題発展技法 19世紀〜 古典派完成 ハイドン以降 展開部が主役 なぜ展開部は長くなったのか? バロック時代 調性変化のみ 短時間で完了 古典派以降 主題発展 時間が必要 機能の根本的変化

クラシック音楽を聞いているとき、「この曲はソナタ形式」という言葉を耳にすることがあります。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の第1楽章や、モーツァルトのピアノソナタなど、多くの名曲がこの形式で書かれています。

ソナタ形式は「提示部・展開部・再現部」の3つの部分から成り立つとされます。しかし、この形式には不思議な変化があります。18世紀の初期作品では展開部は提示部より短く、まるで脇役のような存在でした。ところが19世紀になると、展開部こそが曲の中心的な見せ場になっていくのです。

この変化はなぜ起こったのでしょうか。

バロック二部形式は調性の対比と対位法的発展

話は18世紀初頭のバロック時代から始まります。当時の器楽曲は「二部形式」が主流でした。これは楽曲を2つの部分に分ける構造です。

A B
a a’ b b’
(またはa’
ないしa”)

バロック二部形式の基本的な構造はシンプルでした。

  • A部では主調(その曲の基本となる調)から始まり、属調(5度上の調)で終止します。
  • B部では属調から様々な調を経由して、最終的に主調に戻って終わります。

各部分には繰り返し記号がつき、演奏者は同じ部分を2回ずつ演奏しました。

この形式で重要だったのは「調性の対比」でした。主調から属調への移行、そして主調への帰還。この調性の変化そのものが音楽の魅力の中心だったのです。J.S.バッハの「インベンション第1番」やフランス組曲の舞曲などが典型例です。

スカルラッティの主題・旋律の「回帰」

バロック二部形式のB部は、主に調性を変化させるための「通過部分」でした。調性の対比と対位法的な展開が中心で、主題的な関連は曖昧でした。しかし、この部分はやがて単純な「調性の橋渡し」から「主題そのものを発展させる場」への変化し、展開部と再現部に分化していきました。

ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は、バッハやヘンデルと同じ年に生まれ、555曲もの鍵盤ソナタを作曲しました。スカルラッティが音楽史に残した最大の功績は、「回帰」という概念の発明でした。

  • 従来のバロック二部形式では、A部の材料はA部だけで使われて終わりでした。
  • しかしスカルラッティは、A部で提示した材料をB部の最後に主調で再び登場させるという画期的なアイデアを思いついたのです。

代表作「ソナタ K.9 ニ短調『パストラーレ』」を見てみましょう。この曲では、前半部で提示された美しいメロディーが、後半部の終わり近くで主調に戻って再登場します。まるで物語の主人公が旅を経て故郷に帰ってくるような構造です。この「回帰」こそが、後の古典派ソナタ形式における「再現部」の直接的な原型になります。

ガルッピによる主題展開の充実化

スカルラッティの次の世代に、ヴェネツィア出身のバルダッサーレ・ガルッピ(1706-1785)がいます。彼は、スカルラッティより21歳年下で、生涯に約100曲の鍵盤ソナタを作曲しました。

ガルッピの作品の特徴は、「回帰」というアイデアを受け継ぎながらも、そこにオペラで培った美しい旋律を組み合わせたことでした。「エレナ」「ヴェニスへの虹」「サン・マルコの鳩」といった詩的なタイトルの作品群は、技術的な革新と親しみやすさを見事に両立させていました。

ガルッピのソナタは、スカルラッティよりも「展開的な部分」を長く取り、そこで主題の変形や発展を試みていました。これこそが後に「展開部」と呼ばれる部分の原型でした。まだこの段階では展開部は短く、提示部の方が分量的に多かったのですが、機能は確実に変化していました。

C.P.E.バッハの「多感様式

スカルラッティとガルッピが築いた基盤は、北ドイツのカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1788)によってさらに発展されました。大バッハの次男である彼は、父J.S.バッハのバロック様式から、ハイドン・モーツァルトの古典派様式への移行期の中心人物です。

展開部での主題変形や調的展開をより積極的に行い、「多感様式(Empfindsamer Stil)」と呼ばれる感情豊かな音楽語法を確立しました。二部形式をより発展させ、後の三部構造(提示部-展開部-再現部)の原型を作ったのです。

ハイドンの「主題労作

そしてフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)が「主題労作」という技法を完成させます。これは主題の小さな断片(動機)を素材として、展開部で様々な変形を施しながら楽曲全体を有機的に構築する手法でした。

ハイドンの手によって、展開部は単なる「調性の橋渡し」から「主題発展の中心舞台」へと完全に変貌しました。ベートーヴェンの「運命」で聞かれる「ジャジャジャジャーン」の動機が全楽章にわたって発展されるのは、この伝統の頂点と言えるでしょう。

展開部が長くなった理由

こうして見ると、展開部が長くなった理由が明らかになります。

最初期のバロック二部形式では、展開部に相当する部分は「調性を変化させる」だけの役割でした。調を変えるのに必要な時間は限られているため、自然と短くなります。しかしスカルラッティの「回帰」概念により、「提示した材料をどう扱うか」という新しい課題が生まれました。ガルッピはこの課題に「主題の変形と発展」で応答し、C.P.E.バッハとハイドンがそれを「主題労作」として完成させたのです。

主題を発展させるには時間が必要です。様々な調で試し、分解し、組み合わせ、変形する。この創造的プロセスこそが展開部の本質となり、必然的に長大化していったのです。19世紀のベートーヴェンやブラームスの作品で展開部が楽曲の頂点となったのは、この歴史的発展の自然な帰結でした。

まとめ:形式進化の本質

ソナタ形式の展開部が短い「脇役」から長い「主役」へと変化した理由は、音楽の本質的な機能の変化にありました。調性対比中心の音楽から主題発展中心の音楽への転換。この変化の先駆者こそが、スカルラッティの「回帰」発明とガルッピの実用化でした。

展開部の進化は、単なる形式的変化ではありません。音楽が「美しい音の組み合わせ」から「時間の中で展開される物語」へと成熟していく過程そのものだったのです。