SNSで「いまやインターネットは主体的に見たいものを選択できるということ自体が幻想」という投稿を見かけました1。
この「主体的」という言葉が、ずっと感じていた違和感の正体を言い当てていると思いました。
1. 流れてくる情報の正体
ホームページやブログ・電子掲示板がメインの時代は、情報は主体的に開き、読むものでした。
ところが、SNS時代になり、流れてくる情報を見せられている。
これは、かつてのテレビ以上に警戒しないといけないのかもしれません。
今のインターネットは、誰かにとっての「見せたいもの」が、テレビ以上の力で流れてきます。
ここでは、共感を誘う投稿も、弱っている人への優しい言葉も、家族を守りたいという感情も、すべてが広告を表示するための吸引器になってしまっています。
アテンション・エコノミーです。
アルゴリズムは私たちの時間を確保するために、表示内容を徹底的に調整します。
ある商品について調べようと思って覗いたら、タイムラインに表示される意見が一気に偏る。
これは「フィルターバブル」と呼ばれる現象で、自分の見たい情報だけに囲まれた状態です。
この仕様そのものに恐怖を覚えました。
2. 気づかないうちに変わる「自分」
怖いのは、狭く偏った情報だけを摂取する方向に誘導されているのに、それに気づかないことです。
いつの間にかそれが自分の意志や感情だと錯覚し、自分の中の常識になり、善し悪しを判断する基準になってしまう。
検索エンジンすら押し付けたいものを表示してくるだけで、動画配信もアルゴリズム優先で能動的にコンテンツを探すことを許しません。
自分の意思で明確にチャンネルを切り替えていたテレビの方が、まだマシだったのかもしれません。
3. 主体性を取り戻すために
このような状態でできることは、もしかすると自分が信頼できると判断したメディアやプラットフォームに課金することなのかもしれません。
誰かの払ったお金に乗っかった情報を見るのでなく、電子書籍や映画配信など情報そのものに対価を払う。
そうすれば、すごく快適になります。
もうSNSへの接触自体を、自分でコントロールすべき時代なのだと思います。
メディアリテラシーは、もはや「あった方がいい能力」ではなく、「ないと飲み込まれる必須スキル」になりました。
- もはや「インターネット」は主体的に見たいものを選択てきるということ自体が幻想。誰かにとっての「見せたいもの」がテレビ以上にすごい力で流れてくる。 – kubo soichiroさん / X