批判的思考・リテラシーとショート動画時代の社会分断

深刻化する社会の分断

最近のニュースを見ていると、人々の間で激しい対立が起きています。政治の話題になると感情的になり、異なる意見を持つ人を敵のように扱う光景をよく目にします。意見の違いがあるだけでなく、話し合いそのものが成り立たなくなってしまっているように見えます。

社会の基盤となる価値観が変わり、情報を受け取る方法も大きく変化しました。そして最も重要なのは、長い文章を読んで考える習慣が失われつつあることです。

資本主義と消費主義

現代社会の矛盾の原因として、「資本主義」はよく取り上げられます。拡大再生産する経済は、社会のひずみを生み出しています。

ドイツの学者マックス・ウェーバーは、資本主義を西欧に特異的に生じた経済システムととらえ、その原動力がプロテスタント(キリスト教の一派)の考え方にあったと説明しています。プロテスタントの人たちは、仕事を神様から与えられた使命だと考えていました。だから質素に暮らし、得たお金を贅沢に使わず、事業に再投資しました。これが資本主義の基礎を作ったのです。重要なのは、資本主義の初期において、事業拡大は単なるお金儲けではなく神様に認められるための行いだったということです。

しかし時代が進むにつれて、宗教的な意味は薄れ、お金を稼ぐこと自体が目的になったのです。ウェーバーはこれを「鉄の檻」と表現しました。人々は自由になったはずなのに、お金を稼ぐシステムに縛られるようになりました。

さらに、現代の多くの人々は、「資本を増やすこと」よりも「消費すること」へと関心を移しているようです。良いものを買う、素敵な体験をする、美味しいものを食べる。これらの活動を通じて自分らしさを表現し、幸せを感じるようになりました。資本主義を回すためには、お金を消費する人々の存在が必要不可欠だからです。かつては、それが植民地であり、今は内需拡大になっています。

日本にとっての家制度と新しいコミュニティ

日本は西欧的な資本主義を導入しましたが、根底にある価値規範はプロテスタンティズムとは異なるはずです。長い間、人々の行動を決める基準は「家」がでした。個人の幸せよりも、家の存続や名誉が大切にされていました。戦前の殖産興業も、戦後の高度経済成長も、人々が猛烈に働いたのは「家族のため」です。これが、日本的な資本主義です。

現代では状況が一変しました。核家族が当たり前になり、一人暮らしの人も増えました。結婚式や葬儀は簡素になり、離婚も珍しくありません。家制度の下では、人は家族の一員として自分の役割を理解していました。親から子へ、そして孫へと続く物語の中で、自分の位置を見つけることができたのです。これは安定した社会の基盤となるとともに、個人の自由を制約している面もありました。

一方、人々は家の束縛から解放されると、個人として自由に生きられるようになりました。しかし同時に、人生の意味や目標を自分で見つけなければならなくなった、とも言えます。かつては、当たり前にあった居場所や生きがいを見失っています。

ファンクラブやオンラインコミュニティは、この空虚感を埋めようとする新しい形のつながりなのかもしれません。しかし、最近のコミュニティは、従来型の共同体とは違う特徴もあるようです。共に暮すような、お互いの利害がぶつかるような距離感を避けていて、「好きなものを好きと言い合う」ことが中心で、長期的な責任や深い議論はあまり重視されません。消費的な関係になっているのです。

政治への無関心と消費される政治

社会には調子がよい時期と、調子が悪い時期があります。社会の問題を解決するには、制度や政策を変える必要があります。。しかし複雑な社会問題の本当の原因を理解するのは大変です。分断が進むと、問題解決よりも誰かを攻撃することに関心が向いてしまいます。分かりやすい悪役を見つけて、すべての責任を押し付けたくなります。しかし、政治家や大企業を糾弾して、首をすげ替えても状況は変わりません。

民主主義の国では、政治の失敗は政治家だけの責任ではありません。選挙で政治家を選ぶのは国民だからです。政治に無関心でいることも、ある意味で政治的な選択なのです。このような状況で、政治への関心を高める手法として、政治のエンターテイメント化ということが言われるようになりました。複雑な社会問題を、善悪の分かりやすい物語として消費しているのです。

ショート動画時代の知的退化

民主主義が機能するには、市民が複雑な問題を理解し、議論できることが必要です。

そのためには、長い文章を読んで内容を理解する力が欠かせません。政治や経済の問題は複雑です。短い説明では本質を伝えられません。詳しい資料を読み、異なる立場の意見を比較し、論理的に考える作業が必要なのです。

しかし現代では、短い動画やSNSの投稿が情報源の中心になっています。TikTokやYouTubeショートなどで、複雑な話題が数分で「説明」されます。このような情報の取り方に慣れると、深く考える習慣が失われます。即座に反応し、感情的に共感することが重視されるのです。さらに深刻なのは、多くの人が自分で考えることをやめてしまうことです。インフルエンサーや動画配信者の意見をそのまま受け入れ、自分の意見として話します。

選民思想とレイシズム、ファシズム

ただし、このような新しいタイプの政治参加には、いっこうに政策や歴史のことよく知らないまま、「陰謀論」や「疑似科学」のような言説を鵜呑みにしてしまうような人々も目立ちます。

政治参加が深まるに従って社会を理解していく、というのではなく、感情的に政治に関わる人々です。彼らの特徴は、複雑な説明ができないことです。「詳しくは○○さんの動画を見てください」と言って、自分では説明しません。しかし「真実を知った」という強い確信は持っています。勢い、意見が異なる相手同士で、議論をするのではなく口論になってしまいます。これは、現代の社会分断の実相といえます。

たとえば、外国人労働者や社会福祉を受けている人々などが攻撃の対象になることが多いのです。特に、SNSやショート動画では、「陰謀論」が広まりやすくなっています。これは、「世界を支配する秘密組織がある」「真実を知っているのは自分たちだけ」という物語を信じることで、特別な存在になった気分を味わいます。そして不安や怒りを、自分よりも少数の立場の人々に向けます。これは自分の弱さを認めたくない心理の表れでもあります。

歴史を振り返ると、たとえばユダヤ人がその標的にされることが多くありました。中世ヨーロッパでは、キリスト教が利息を禁止していたため、金融業はユダヤ人が担っていました。しかし、中世キリスト教のヨーロッパにおいて、ユダヤ金融の存在感が大きかっただけで、世界的に見れば資産を持つものはたくさんいます。しかし、「ユダヤ人」という連続してとらえられることが、迫害の対象として都合がよかったのでしょう。多くの陰謀論において、「黒幕」とされる存在は、その社会での少数者で被差別者です。

危機を乗り越えた社会の共通点

これは民主主義の根幹を揺るがす問題です。民主主義は、市民一人ひとりが自分で判断することを前提としているからです。

歴史を見ると、深刻な社会的危機を乗り越えた例がいくつもあります。

  • イギリス名誉革命
  • フランス革命
  • アメリカ独立革命
  • 明治維新
  • 世界大戦後の復興

この転換点では、戦争や内戦などで多くの犠牲者を出したケースと、そうでないケースがあります。被害がすくなかった事例にある共通点は、市民が理性的に議論できる文化があったことです。代表的なものはイギリスの名誉革命です。

大きな社会変革の時には、新しい考え方を示す思想家が現れます。ロック、ルソー、モンテスキュー、吉田松陰などがその例です。しかし重要なのは、思想家の考えを受け取る社会の側の成熟度です。どのような思想が受け入れられ、どのような行動に至るのかは、社会の人々によります。

理性的な議論ができる土壌があれば、新しい考え同士は相互に補完して社会を良い方向に導きます。しかし分断と感情的対立が支配的な社会では、それぞれの考えがより極端へと分かれ、相容れない暴力や破壊につながることもあるのです。

批判的思考が社会の自然治癒力

このように考えると、特別な思想や特別な指導者が健全な社会に修正するのではないことがわかります。一人ひとりの市民が、複雑な問題を理解し、建設的に議論できることが最も重要なのです。それによって、合意形成するしか社会を統合する道はないからです。

したがって、政治を良くするというのは、そのようなリテラシーを持つ市民を増やすこと。知識を詰め込むだけでなく、批判的に考える力、異なる意見に耳を傾ける姿勢、論理的に議論する技術を身につけることが必要です。そうすれば、自ずとよい意見に集約されていくからです。

まとめ

現代社会の分断や対立の根底には、理性的な議論の基盤が失われつつあることがあります。

働く意味の変化、家族制度の解体、デジタル文化の浸透。これらの要因が重なり合って、人々は長期的な視点を失い、複雑な思考を避けるようになりました。

その結果、陰謀論が広がり、政治がエンターテイメント化し、弱者への攻撃が正当化されるようになっています。

しかし歴史は希望も示しています。教育と文化の力によって、市民の理性的判断力を回復することは可能です。そのためには、まず長い文章を読み、じっくり考える習慣を取り戻すことから始める必要があります。

民主主義社会の基盤は、結局のところ市民一人ひとりの知的能力と公共的責任感にかかっているのです。